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男女10人AI物語
第1話 / ep-001

三割の午後

人間とAIの対話から制作
作品の入口
文字

神崎常務は、新品の黒いマーカーでホワイトボードの中央に大きく「30%」と書いた。

「来期は、全社でAIを活用して工数を三割削減する。今日はそのための、具体的なキックオフだ」

派遣事務の佐藤が、静かに手を挙げた。 「何の工数ですか」

神崎はキャップをカチリと閉めた。 「そこから議論しよう」

佐藤は壁の丸時計を見上げた。午後三時十二分。定時まで、あと二時間十八分だった。

「では、僕からいいですか」

企画開発部の新卒、蓮がシルバーのMacBookを開いた。 「昨夜、ノリで作ってみたんですよ。社内Slackと連携して、問い合わせ対応をAIがリアルタイム採点しつつ、最適な返信文を自動生成するモックです」

プロジェクターの壁一面に、カスタマーサポートの新人アルバイト・宮内の名前が大写しになった。 その横には、赤く点滅する数字。

対応品質スコア:42点

「これ、昨日の宮内さんの通話ログです」と蓮が早口で言った。「通話時間、十九分。標準対応時間の約三倍かかってます。僕の作ったAI返信アシストを通せば、たぶん五分で終わります」

宮内は小さく縮こまり、自分の42点を見つめた。 「……あの、お客様のオフィスチェア、十年前の廃番モデルだったんです」

「それが問題なんだよ」 腕組みをしてふんぞり返っていた営業部の武藤係長が、低い声を出した。 「古い型なら、最初に品番を聞き出せば済む話だろ」

「聞きました。でも、シールの場所が分からないとおっしゃるので、電話口で一緒に探したんです」

「十九分もか?」

「お客様、腰を痛めてらして……椅子を一人でひっくり返せなくて、お隣の部署の人を呼びに行かれてたので待ってました」

蓮が軽快にキーボードを叩いて画面を切り替えた。 「でも宮内さん、AIの判定はこちらです。『販売終了品のため、後継モデルのカタログURLを案内して終話』。リンクも自動生成されます。業務効率化って、こういう無駄を削ることですよね」

「脚の部品だけ欲しいって言ってただろ」と武藤が言った。

蓮が首を傾げる。 「え? でも社内データベースの在庫、ゼロになってますよ」

「西倉庫に二本ある」

会議室が一瞬、しんと静まり返った。 蓮が眉を寄せる。 「……なんでシステムに載ってないんですか?」

「西倉庫の台帳は紙だからだ」

「それ、最初に言ってくださいよ!」

「聞かれなかった」

蓮が息を吸い込み、武藤が顎を突き出したその瞬間、それまで無言で黒い ThinkPad をカタカタ叩いていた情報システム部の黒木室長が、指を一本立てた。

「蓮」

「はい?」

「そのモック、顧客の通話ログと氏名、どこのAPIに投げた」

蓮の指が、キーボードの上でピタリと止まった。 「え……? いや、海外の最新LLMのクラウドAPIですけど……」

「通信ログの暗号化は。規約のオプトアウト申請は済ませたか」

「あ……いや、昨日の夜、個人の検証アカウントでサクッと繋いだだけなので……」

黒木は無表情のまま、手元のエンターキーをッターンと叩いた。

「外部通信ポート、遮断した」

プロジェクターの画面が、真っ白な『403 Forbidden』に切り替わる。 「ちょ、黒木さん! デモ中なんですけど!?」 「だから止めた」

神崎常務が咳払いをして、ホワイトボードの「30%」を指先でトントンと叩いた。 「まあまあ、二人とも。私は誰かを責めるために集めたんじゃない。失敗を恐れず、AIでどう業務をスピードアップさせるかを——」

「あの……」

宮内の消え入りそうな声が、会議室に落ちた。 全員の視線が集まる。宮内は膝の上で指をぎゅっと握りしめていた。

「お客様、明日から大事な役員研修があるそうで……どうしても今日中に部品を発送してほしいって、困ってらっしゃいました」

誰も声を出さなかった。 その沈黙を破ったのは、椅子の引かれる小さな音だった。

「西倉庫の在庫表なら、あります」

佐藤が自分の画面をこちらに向けた。 「紙だぞ」と武藤が言う。

「先週いただいた紙の台帳、手入力してスプレッドシートにまとめてあります。棚番号と品番を自動で照合する関数は、AIに聞いて組みました」

蓮が恐る恐る顔を上げた。黒木も鋭い視線を画面に向ける。 「佐藤さん。顧客情報は入ってないな?」 「在庫番号と個数だけです」 黒木は小さく頷いた。「規約上、問題ない。続けろ」

佐藤は無駄のない手つきでセルをクリックした。 「該当のキャスター軸、二本あります。西倉庫の三列目、一番下の段です」

武藤がバッと立ち上がった。 「俺が取ってくる。あそこの棚、札の番号と中身の箱が上下逆になってるんだ」

蓮が思わず叫んだ。 「それも最初に言ってくださいよ!」

「聞かれなかった」 武藤はそれだけ言い残し、会議室を飛び出していった。

十分後。 油の匂いが染み付いた段ボール小箱を抱えて、武藤が息を切らして戻ってきた。 宮内がすぐさま発送伝票とお詫びのメール文面を打ち始める。武藤がその背後からのぞき込み、「出だしはこう書け」と胸ポケットからスマートフォンを取り出した。

スマートフォンの画面には、異様なほどびっしりと細かな条件が箇条書きされた長文が表示されていた。

蓮が目を丸くする。 「武藤さん……それ、プロンプトですか?」

「プロンプトじゃない」 武藤は画面を睨みつけながら言った。 「指示だ」

黒木が横から画面を覗き込む。 「顧客の個人情報は」 「入ってない。全部『某社某氏』で伏せてある。俺を誰だと思ってる」 「確認するのが仕事だ」 「知ってるよ」

神崎常務が満足そうに腕を組み、ペンのキャップを開けた。 「素晴らしいじゃないか! つまり、AIの関数で在庫を発見し、現場の指示文でメールを作成し、劇的に対応時間を——」

「部品の場所を覚えてたのは俺です」と武藤。 「関数を教えたのはAIです」と蓮。 「通信を止めなければ情報漏洩でした」と黒木。 「メール、送信完了しました!」と宮内。

佐藤が、壁の丸時計にすっと視線を流した。 午後五時二十七分。

「発送の最終集荷、あと三分です」

会議室の空気が凍りついた。 次の瞬間、全員が一斉に弾かれたように動き出した。

宮内が箱を抱えて廊下をダッシュし、武藤が印鑑と伝票を握りしめてその背中を追う。 「階段のほうが早い! こっちです!」と蓮が先頭を走り、黒木が「走るな!」と叫びながら閉まりかけたエレベーターの扉を手でこじ開けて固定した。

午後五時三十分。

嵐が去った会議室で、佐藤は静かに自分のノートPCを閉じ、鞄にしまった。 机の上を几帳面に片付け、誰にも声をかけずにスッと部屋を出ていく。

廊下の向こうから、肩で息をしながら武藤と黒木が並んで戻ってきた。 「おい武藤」 「なんだ」 「土曜、六時な」 「登山口だろ。分かってる」 「手袋は絶対持ってこいよ」 黒木は自分の鞄から、予備の軍手を一組取り出して武藤の胸に押し当てた。 「先月もそう言って、山頂で凍えてただろ」 「……悪かったよ」

二人の足音が、エレベーターホールへと消えていく。

*

その頃、神崎常務は一人で会議室に残っていた。

窓の外はすっかり夕暮れの茜色に染まり、静まり返った室内には、ホワイトボードに書かれた「30%」の文字だけがぽつんと残されていた。

神崎が腕を組んでその数字を見つめていると、机の上のスマートフォンが短く振動した。 画面を覗き込むと、全社導入されたばかりの会議要約AIから、自動生成の議事録通知が届いていた。

【本日の会議サマリー】 出席者:神崎、武藤、黒木、蓮、佐藤、宮内 決定事項:AIの全社的・横断的活用により、現場工数30%の削減を達成。次回、全社展開へ向けたロードマップを策定予定。

神崎は目を細め、通知をスクロールした。

「……あれ? 決まったんだっけ?」

神崎はしばらく考え、やがて満足そうに口元を緩めると、赤いマーカーを手に取った。 そして、ホワイトボードの「30%」の周りを、力強く二重丸で囲んだ。

(第1話・了)

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